レールと日本の鉄道

日本の鉄道は、明治政府が招聘したお雇い外国人の意見を基礎にして作られていますが、レールの選別で論争がありました。最初には1067mm軌間の狭軌を採用することになるわけですが、その後も改軌への機運が高まります。狭軌の採用を決めたのは大隈重信だったのですが、これは欧州で採用されていた広軌とは違っていたことから、輸送力の低下を招くことになりました。

戦前には弾丸列車の計画があり、一部の橋梁では広軌への改軌を見込んで設計されたものがありましたが、戦況の悪化もあって実現せずに終わっています。日本の鉄道で広軌のレールが採用されたのは、1964年に開業した東海道新幹線からです。当然ながら、在来線は狭軌で作られていましたから、新幹線と直接に接続することはできません。これは大きな問題ですが、大隈重信などの明治の元勲が知る由もなかった問題です。

在来線の奥羽本線や田沢湖線には、山形新幹線と秋田新幹線が通っているのは、開業時に狭軌から広軌に変えているためです。この方法にすれば、別々に線路を作る必要がなくなるため、建設費を削減することが可能になりました。これはミニ新幹線とも呼ばれる形式で、日本の鉄道史の中で画期的な方法として記録されています。